大長今(テ ジャングム)考古学1
このドラマは、原題「 大長今(대장금)テジャングム 」(「偉大なる長今」の意)として韓国の放送局MBCによって、
2003年9月15日から2004年3月30日まで放送され、連日50%を越える視聴率を獲得したそうだ。
国内では、NHK-BS2で2004年10月から吹き替え版をスタート、反響が大きかった為、2005年10月〜2006年11月までNHK総合で
毎週土曜日に放映された。
舞台化を前に、過去の歴史からいくつか学ぶ点がいくつかありますので、随時紹介していきたいと思います。
李氏朝鮮第10代国王の燕山君(ヨンサングン)について
朝鮮王朝史上前例のない暴君として知られる。
第9代国王成宗の長男として生まれた。母は
廃妃尹氏(尹妃(斉献王后・尹氏))(はいひゆんし)。
生母尹氏は、成宗の最初の王妃であった恭恵王后・韓氏が1474年に死去すると正妃の位に登ったが、嫉妬心が異常に強く、
成宗と関係した女官を殺害するなどし、さらには成宗の顔に傷をつけるなどしたため、1482年、王命により毒殺された。
『大長今』の物語は、ここから始まる。
その後長男であったため、1484年、8歳で王世子(皇太子)に冊封されたが、非常に粗暴な性格の持ち主で、子供の頃から勉学を嫌い、
王位後継者として相応しくないという意見があったが、1494年成宗が死去すると、18歳で王位を継承する。
燕山君は二度にわたって
士林派(しりんは)に対する粛清事件(
士禍(しか))を引き起こした。
また戚臣のひとり、任士洪(イム・サホン)が、彼を唆して生母尹氏誅殺に関係した者を捕らえて殺害している(1504年に起こった
甲子士禍(こうししか))。【大長今 第2話】
燕山君は多数の妓生を引き連れて遊興にふけ、諫言する功臣たちを処刑するといった朝鮮王朝史上類のない冷酷な君主となった。
あまりの暴虐ぶりに臣下の離反を招き、1506年9月に朴元宗(パク・ウォンジョン)、成希顔(ソン・ヒアン)らが企てたクーデターによって
燕山君は失脚する。後継には異母弟の晋城大君(チンソンデグン)、のちの中宗となる。【大長今3話】
物語では、クーデター派がチンソンデグンの元に、幼いチャングムを使って祝いの酒と称したものを運ばせて、促している。
さて燕山君という暴君を経営者に当ててみると、よく似た点がある。
このまま続けていれば、弟が会社を継ぐことになったりして・・・
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